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YKギャラリーにおいて作者山口佳延による京都・大和路等のスケッチが展示されています。但し不定期。




 
 
 
 
 
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読後感想
山口佳延写生風景
絵と文 建築家・山口佳延
 

 
五 嵯峨野ー仇野念仏寺から鳥居本平野屋・愛宕念仏寺へ
 
 建築学科の学生時代、設計実習の課題としてスケッチを選んだ。京都南方上狛に十日間ほど身を寄せ、京都奈良に散在する神社仏閣を描いて歩いた。三十数年前のことだった。その際、仇野念仏寺を訪れた。嵯峨野小径をかなり山間に入った、人里離れた地である記憶が脳裡の片隅にあった。千体を越すと云われる野仏の群はかろうじて脳細胞にインプットされていた。
 スケッチブックを小脇に抱え、短パンにTシャツ姿、足にはビーチサンダルをつっかけていた。当時、嵯峨野の終点はここ仇野念仏寺である、と友人との暗黙の了解があった。
 それから三十年、嵯峨野小径の終点、と勝手に思いこんでいた仇野念仏寺へ通ずる、永く連なる石段前に立った。惚れ惚れするような光景に思わず、
 「うわっーこれは素晴しい光景だ」
 と独語を吐いた。眼前には、滑らかな弧を描いた石段が緩やかに上り、石段の頂に簡易な板屋根を差掛けた門が豆粒のように立つ。それは石段両脇から張出した若さに溢れた青葉に見え隠れする。門の向うには幽かに山内の新緑が微風に揺れていた。張出した若葉の葉擦れに藍青色に透き通った天空が覗く。
 石段のステップは巾広く、鈍色に沈む。木漏れ陽を受けたステップは明るく輝いていた。石段の縁には側溝が切られ、石段と左方の土手とを空間的に繋いでいる。それは自然で無理のない要素の変換を思わせる。
 下方から見上げているため、上方になるに従いステップの横筋は細かくなる。石段は門を通り越し山内に吸込まれる。
 嵯峨野小径に面してアルコーブがあり、石段は鳥居本に至る嵯峨野小径に平行に上る。石段は徐々にカーブを描いて嵯峨野小径から離れる。その結果嵯峨野小径と石段との間の若葉の緩衝地帯が厚くなる。頂に立つ門の辺では嵯峨野小径からかなり離れた位置になる。
 この石段を見、惚れ惚れとした気持ちになった訳は、嵯峨野小径と石段の相関関係、それがもたらす曲線を描いた石段の変化にあるのかも知れない。
 嵯峨野小径と石段の相関関係がもたらす素晴しい光景は、三十数年前には思いも着かなかった。当時、ビーチサンダルをつっかけた若者は、只菅前へ前へと進むことに精力を使い果し、立ち止って感慨に耽ることはなかった。
 暫く佇んで石段を見上げていた。思い付いたようにウエストポーチのチャックを右に引き、中から筆ペンを引抜いた。小脇に抱えたキャンソン紙のスケッチブックを縦にして石段の頂に翳した。
 左の掌にスケッチブックを載せ、頂に立つ門を見据えた。石段頂の掠れた段端を軽く横に引いた。長く筆を入れると画面全体が大味になって間が抜けたスケッチになってしまう。受ける印象より短く入れた。後は一気に石段の側溝のラインを描き下ろした。
 描く間三四組の探索者が石段に足を進め、頂に立つ門に吸込まれて行った。豊かな空間に、そこを進む人にも柔らかな光が発散し微光が差しているように見えた。
 この石段の光景には、何時訪れても浮世の喧噪を忘れ我身が引込まれて行くような錯覚を憶える。パソコンに入力された画像を開いてみた。此処から描いたスケッチは春夏秋、と三枚あった。晩秋石段両脇から張出した楓樹の色葉は薄紅色のトンネルとなり、それは現世から彼岸への途のような光景を成していた。梅雨空の頃、雨滴に打たれた石段は訪れる人もなく、冷たい輝きを放っていた。
 スケッチブックを小脇に抱え、つるつるに光った石段に足を進めゆっくりと上っていった。進むに連れ前方に立つ門は大きく迫ってきた。
 小さな宝塔で方形に囲まれた石塔群の縁を遠回りに廻って石塔群の角に出た。一帯は平坦な地で、京都市街に向って山内は緩く下る。立上がった樹々は巨木ではないため梢の間に市街が白い筋を引く。樹々が途切れた西方には人家の甍が鈍色に輝く。
 
 晩秋、同じ地に立った際、思わず、
 「ウワッ」
 と声を発しその場に茫然と佇立した。其処には夢のような光景が広がっていた。
 山内は朱一色に染まっていた。瞬間それが何が発した色であるのか分らなかった、というより何であるのかは気にもしていなかった。けれども色の群が楓樹であることに気が付くのには時間が掛らなかった。
 楓樹の色葉は朱色から橙色に微妙に変化し、そしてそれらが混じり合って眼に飛込んで来る。色葉の鮮やかさに我をも忘れ石塔群を右手にし足を進めた。石塔群を方形に囲んでいる結界とも云える石を積上げた土手の頂には小さな石塔が連続的に並ぶ。
 石塔群の中央に石造の十三重塔が立つ。十三重塔正面に立った。塔の背は真赤に染りこの世の物とも思われない。それも一瞬の刻だった。色葉の葉擦れから細い幹そして枝が覗いているため、それは楓樹の秋色である、と気が付き現世に返った。
 石塔群の反対側アルコーブに、路地があり両脇に石塔が立つ。石塔群から距離を保つため路地に折れ、背を振返った。微かに歩いただけだが、石塔群と背の秋色が程良く釣合っていた。彼方に望む山端は比叡山だろうか、山端は淡い緑と薄紅色が混じり合い、山内の秋色と溶け合っていた。鮮やかな色葉の群に十三重塔が鈍色に輝き、色葉に切れ込んでいる。妖しげに沈んだ石塔群と色葉の海、それは陰と陽、裏と表とも云える、互いに対極に存在する要素だが、仇野の地で好く響き合っている。
 ウエストポーチのチャックを右に引いた。中から筆ペンを引抜き、キャップを外し胸のポケットに差込んだ。それから小脇に抱えていたキャンソン紙のスケッチブックを前方に翳した。十三重塔を中心にした対立的な構図だ。
 低い土塁の線を画面下に横に引いた。それから土塁頂に並んだ小さな石塔を描いた。石塔の間から石仏群が無数に覗く。
 デッサンが上がり地面にスケッチブックを置いた。ウエストポーチからヴァンゴッホの水彩絵具を取りだしスケッチブックの右上に開いた。それから水器壺を小ポケットから出し、キャップを外して水彩絵具の脇に置いた。
 まず最初に眼に飛込んだ色葉を朱色に染め、朱色に混じっている橙色を画面の処々に引いた。それから遠方に望む山々を淡い緑色でさりげなく引いた。色付けが六歩程出来た頃、
 「ウワッー綺麗な紅葉だ」
 女の華やいだ声がした。筆を止め背を振返った。中年の女が二人頬を緩め絵を覗いていた。目元の涼しげな女は山内のこの世のものとも思われない秋色に、興奮を抑え切れない様子だ。素晴しい紅葉の中に身を委せている喜びが全身に溢れていた。女は携帯用の画材を持っているらしい。
 「いいとこですよ、スケッチブックなさったらどうですか」
 「そうね、眺めているだけでは・・・」
 女は私の背の方に進んだ。私は色付けの続きを始めた。筆先にペインズグレイを微かにつけてから先端を水に浸し、石塔や石仏群をランダムに染めた。
 スケッチブックを畳んで振返った。女達は真剣な表情でハガキ大のスケッチブックを掌にし、前方に広がる秋色の海に立ち向っていた。描いている場所はアルコーブになった処であるため人は入り込んでこない。薄紫色のワンピースを着た女の背に回ってスケッチブックを覗いた。女は片手でスケッチブックを押え、
 「駄目です」
 と頬を緩め恥ずかしそうにしていた。もう一人、幾らか若い方の目元の涼しげな女の背に回った。
 「好く感じが出ていますね」
 女は鉛筆で十三重塔を中心にして描いていた。微かに頬を緩めただけで女は無言で鉛筆を走らせていた。
 足を進め本堂前に出た。山内には小さな祠が幾つか立つ、けれども秋色に包まれた石塔群の前には影が薄い。本堂前の縁に栞が載せてあった。
 
 俗世間つもりちがい十ヶ条
 一、高いつもりで 低いのは 教養
 二、低いつもりで 高いのが 気位
 三、深いつもりで 浅いのは 知識
 四、浅いつもりで 深いのが 欲
 五、厚いつもりで 薄いのは 人情
 六、薄いつもりで 厚いのが 面の皮
 七、強いつもりで 弱いのは 根性
 八、弱いつもりで 強いのが 我
 九、多いつもりで 少ないのは 分別
 十、少ないつもりで 多いのが 無駄
 
 身につまされる十ヶ条だ。この手の格言は栞に書かれてあれば成程、と納得する。けれども人から云われた場合には、説教じみてきこえ、云ってる本人に投掛けたくなる格言だ。この十ヶ条が取引先の応接室に掛けてあったことを思い出し、一枚貰ってきた。
 本堂前に立つ鐘楼が土塁で囲まれた石塔群への入口だ。土塁内に足を踏み入れた。石塔群が無限に広がっていた。それは賽の河原のように果てしなく、土塁頂に連なって立つ石塔がなければ山内からはみ出し市内へと押寄せそうな印象を憶えた。土塁で囲まれているため石仏群は安住の地を見つけ穏やかに納っている。
 土塁頂に並んだ石塔の向う、華やいだ色葉が晩秋の冷たい風に揺れる。色葉の葉擦れには京都市街が白くぼんやりと浮んでいた。
 左方の切間から土塁内を出た。この辺では、楓樹の色葉が頭上に張出し、淡い薄紅色をした色葉を、手に取るように眼にすることができる。先刻描いていた時、色葉は朱色の塊だった、ここでは微風に戦ぐ一枚一枚の色葉は、儚い命の最後の炎を謳いあげている。けれども華やかに染上がった色葉は、後数日の命であることも知らずに揺れていた。
 板屋根を差掛けた山門を出、石段を下った。嵯峨野小径に多くの人が行交っていた。小径を振返った。流れと逆方向に二人ずれの背があった。仇野念仏寺あたりで小径にガラス戸を開けた店は途切れている。この先に何があるのだろうか、と二人の背に視線をやった。
 流れに逆らい嵯峨野小径を上がっていった。やがて小径は旧街道の面影を残した佇になった。右方に柱や梁が墨色に染まった嵯峨鳥居本街並保存館が立つ。墨色になった縦格子から橙色の灯が洩れる。格子前には簀子状の縁台が据えられていた。この縁台はーばったり床几ーと云われる。保存館の中二階の壁は漆喰が塗られ白色の壁にはむしこ壁が穿たれていた。 この嵯峨鳥居本地区は産寧坂地区、祇園新橋地区、明神川沿いにリニアーに軒を連ねる社家が並んだ上賀茂地区と共に京都市の伝統的建造物群保存地区に指定されている。街並保存館の向いには朱色に塗られた祠が二三立つ。
 
 この道を嵯峨野小径と名付けたが、小径は愛宕山山頂に立つ愛宕神社に至る参詣道として、古くから多くの参詣者が踏んだ愛宕街道と云われる。
 小径は数種類の石やタイルで仕上げられた石畳だ。石畳は小径の流れなりにペーブされ、屈曲して伸びる。進むに連れ小径は素晴しい表情を現した。
 仇野念仏寺の燃立つような秋色に魅せられ、新緑の若やいだ光景は脇に追いやられてしまい、取り取りの色に溢れた錦秋の情景が脳裡の抽斗からこぼれ出る。場面は新緑から晩秋に移り変った。
 町家の佇が立並んだ嵯峨鳥居本街並保存館を過ぎた辺から、瓦屋根が軒を連ねた中に茅葺の草屋根が入交じった街並が前方に見渡せる。民家の軒先から楓樹の枝葉が石畳の小径に張出す。楓樹に混じり何の樹だろうか、橙色に染まった色葉が覗いている。そして処々緑葉が割込んでいる。それらの要素が互いに響き合い心地よいハーモニーを奏でる。
 三十数年前から幾度か嵯峨野に訪れていた。それでも仇野念仏寺から先には足を伸していなかった。嵯峨野の奥にこれほど、忘れ去られたかのようにひっそりと佇んだ街並があろうとは、思いも寄らなかった。期待して歩いていなかったため思わず、
 「うわっーこれは素晴しい街並だ」
 と独語を吐いた。
 先方に朱色に染まった鳥居が現れるにおよび溢れる気持は抑えきれなくなった。思わずウエストポーチのチャックを掴み右に引いた。中から筆ペンを引抜きキャップを外し口に銜えた。それから小脇に抱えていたキャンソン紙のスケッチブックを前方に翳した。構図がどうの色の出し方がどうの、と云った作者としては重要な事も、眼前に繰り広がる光景は意に関せず自然のまま流れるような空気が漂っていた。
 石畳の小径が屈曲し彼方の赤鳥居に吸込まれる。石畳の細い目地は流れに溶け込み、小径の流れに沿った縦長の目地が赤鳥居に突刺さる。手前には柿の木が高く立ち上がる。橙色の実が
パステルカラーに染まった色葉の海に点々と浮んでいる。
 小径中央に立ち、眼前に拡がる光景と小さな画面を見較べた。画面中央に筆ペンを置いた。鳥居上部の桁線を控目に横に引いた。次に奥方から軒を並べた町家や草屋根を描いた。背後の山端は愛宕山だろうか、淡いパステルカラーに染まっていた。赤鳥居に差掛かった薄紅色に揺れている色葉は控目で頼りないくらいだ。
 デッサンが上がり小径脇に移動しスケッチブックを石畳に置いた。ウエストポーチからヴァンゴッホの水彩絵具を取りだしスケッチブックの右上に開いて置いた。ウエストポーチの小ポケットから二連結になった水器壺を掴みだし、蓋を外して水彩絵具の下に据えた。
 朱色に少し白を混ぜた。穂先に混ぜた色を微かにつけた。スケッチブック片隅に朱に染まった筆を載せた。白色の画面が透き通った淡紅色に浮き出た。その勢いに乗って赤鳥居に差掛かる色葉を画面に走らせた。
 同じ調子で街並を包込んでいる樹々の梢に靡く色葉に筆を滑らせた。鈍色に光った瓦屋根や石畳は描きすぎないように軽いタッチで筆を走らせる。
 三十分程錦秋漂う街並に立ち向っていただろうか、描き上げスケッチブックを畳んで立上がった。胸を反らせ両手の握拳で腰をとんとんと叩いた。眼に染みるような青空を見上げ、ふっと吐息を吐いた。
 行交う人も少ない石畳の小径にゆっくりと足を進めた。小径に面した家々には深みを憶える。小径に開かれた格子戸は閉められている、けれども格子戸の向う、眼には見えない静かな空気が流れる。さわさわとした流れはしっとりと濡れているような、小径を彩っている色葉に似、透明で華やかな薫りを放つ。
 
愛宕念仏寺 愛宕念仏寺羅漢像
 
 
 鳥居が徐々に眼前に迫る。近付くに連れ鳥居は大きくなり鮮やかな朱色の色合を深めてきた。左方の草屋根の玄関先に暖簾がぶら下がる。暖簾は冷たい風に揺れ白地に墨色でーつたや鮎の宿ーと浮上がっていた。店先に据えられた縁台には緋毛氈が敷かれ、楓樹が差掛ける色葉と好く響き合う。
 緋毛氈横から紺色の和服に身を包んだ三十絡みの女が姿を現した。髪の毛を後ろで束ね細面の顔には涼しげな眼が輝いていた。女は眼を合わせるようで合わせない。かといって無視している訳ではない、誰に微笑みかけるともなく頬を緩め下駄の音を響かせて小暗くなった土間に消えていった。女のさりげない仕草に文化と教養の深さを憶えた。
 女に据えられた視線を前方に向けた。女の残影が焼付いた瞼にお伽の国のような光景が広がっていた。
 巨木公孫樹の足下に立った。右斜めに本街道が弧を描きつつ微かに傾斜をつけて樹幹に吸込まれる。左斜めには巾の狭い小径が伸び闇に溶け込む。二つの小径は此処で合さり石畳の嵯峨野小径となる。
 小径の合流点に朱色に染まった大きな鳥居が立つ。鳥居が立つ位置は合流点より一.五メートル程高い。そのため合流点から鳥居へは数段の石段が伸びる。石段が鳥居に至るまでは僅かな距離だ。その僅かな間には二三の灯籠が立つ。朱色に染まった鳥居の柱の剛性を保つためバットレスとして一辺五十センチメートルはあろう、と思われる角材が左右に立つ。
 朱色の柱と角材は桁あるいは貫によって緊結される。朱色の鳥居に対し、バットレスの角材は墨色に染められている。それは役者に対する黒子のような印象を憶えた。
 鳥居は大きく口を開け此方に倒れかかって来そうなほど流動的な空間を構成する。鳥居の口に納るかのように草屋根を持った民家が立つ。
 突然現れた赤鳥居と草屋根の民家、この光景を眼にし二つの空間要素には如何なる関連があるのだろうか、とその類い希な設計手法に驚き茫然と佇立した。
 草屋根の民家、奥方に暖簾が靡いていた。鳥居脇に黒塗りのハイヤーが停まり、紺色の制服を纏った運転手が暇そうにぶらぶらしていた。ハイヤーで訪れる客が来るからには、草屋根の民家は名ある茶店に違いない。
 これらは人間の技にかかる要素だ。右手の土手上から大きな楓樹が斜めに立上がり草屋根を包込むように枝葉を張出す。天空一杯に淡い朱色に染まった色葉で埋っている。色葉の群は赤鳥居にも張出す。鳥居の朱色と色葉が織りなす薄紅色が混じり合い自然と人工の境界が曖昧になる。
 嵯峨野小径と土手の境に立上がる巨木公孫樹の足下に転がる石の傍らから暫くの間、動けなかった。ウエストポーチから筆ペンを引抜きキャップを外し口に銜えた。左掌にキャンソン紙のスケッチブックを載せた。
 この光景を描くことは大変だ、と脳裏に不安が過ぎった。けれどもそれも一瞬、筆ペンの穂先を画面左上部に載せ、穂先を斜上に走らせた。まずは鳥居のスケールを画面に現した。鳥居の円柱はよく観察すると三カ所墨色に染まっている。円柱にひびが入らぬように締付けているバンド、鉄製の帯鋼だ。
 描く脇に立上がる公孫樹が頭上で黄金色に染まった枝葉を広げる。黄金色の色葉は鳥居にまで張出し朱色と混じり楓樹の秋色に吸込まれていった。
 デッサンが上がった頃、背後に人の気配を感じた。手を休め振返った。公孫樹の樹影に初老の女が立っていた。
「ちょっと見させて頂いてます。下書もせず筆で直に好くそんなに早く描けますね」
 女は微かに頭を垂れて云った。
 「筆ペンの方が、消せないため思い切りよく描けますよ。絵を描くんですか」
 離れて見ていた女は此方に幾らか近付き、
 「何処からいらしゃったんですか。私も少し水彩画を描きますが、鉛筆で下書をしないと・・・絵の先生ですか、私は京都の南、三室戸寺の近くに住んでいますが、あちらの方には絵を描きには来ませんですか」
 「いやー先生ではありません、建築の設計をしているもので・・・」
 女と話している間、数人の探索者が通り過ぎて行った。
 スケッチブックを傍らに転がった石に載せた。ウエストポーチからヴァンゴッホの水彩絵具を取りだしもう一つの石に広げて置いた。それから筆を引抜いた。小ポケットから水器壺を取りだしキャップを捻って外し水彩絵具の脇に置いた。
 薄紅色や黄金色に染まった秋色に筆を走らせた。そのうちに女は、
 「どうもお邪魔しました」
 と云って嵯峨野小径を下って行った。女が去って程なく描き終った。立上がって胸を反らせた。俯きかげんで描いていたため胸が圧迫されていたため、晩秋の冷たい空気が胸一杯に流れ込んできた。
 胸ポケットからマイルドセブンを一本引抜き口に銜えた。それからライターを掴み撮みを擦った。青白い炎が立上った。銜えたマイルドセブンを炎に近づけ吸込んだ。タバコの先が赤く光った。視線を赤鳥居に据え、口に銜えたマイルドセブンを大きく吸込み、ほっとして吐いた。紫煙がゆらゆらと立上った。紫煙は鳥居の朱色の柱に沿って上がり、楓樹の秋色に吸込まれた。
 翌年再度、鳥居本を訪れた。その際赤鳥居左方の小暗い小径に足を進めた。この先に何が存在するのだろう、と興味があった。その時水上勉の小説が脳裏を過ぎった。苦しい修業に疲れ生れ故郷である若狭に一人歩いていった水上勉。この道がその道では、と感慨に耽った。人も車も通らない、時折鴉の鳴声が何処からともなく流れて来るのみだ。道は九十九折に進み深山幽谷の趣を現した。
 その時水上勉は小学生の年頃だったのでは、と記憶している。小学生がこの昼尚暗い山道を一人で若狭まで歩いて行った。と鬱蒼と樹々が立上がる山々に視線をやった。入り口は狭かったのだが、進むに連れ道は立派なアスファルト道になった。見晴しの好い展望台に出た。先にはくねくねしたアスファルト道が延々と繋がる。私は若狭まで歩いて行く積もりはなかった、此処で引返し赤鳥居に戻った。
 
 嵯峨野は渡来系氏族秦氏と関係が深い。鳥居本の街並の原型に関しても秦氏の技術が影響を及していたことであろう。五世紀秦氏が新羅より渡来する以前、高麗からの渡来系豪族賀茂氏が現在の洛中、洛北、洛南に勢力を張っていた。そのため秦氏は嵯峨野を中心とした洛西に活動の拠点を置いた。
 嵯峨野の開発に関しては角倉了似の力が大きい。秦氏が洛西に精力を張っていたことは最近知った。秦氏は政治的な活躍より養蚕、機織、染色、醸造そして土木建築などの技術集団として活躍した。百済からの渡来系氏族蘇我氏は斉明女帝の代、大和の豪族や大王家の反発を買い、蘇我本宗家は乙巳の変で蘇我入鹿が暗殺され滅亡した。
 秦河勝は推古女帝の代、聖徳太子の忠実な舎人として活躍し、太子は秦河勝に大きな信頼を寄せていた。蘇我入鹿の謀略にかかり上宮王家が滅亡した変事の際、秦河勝は最後まで山背大兄皇子の相談役となっていた。
 鳥居本街並に思いを巡らせていた時、秦氏の技術と朴訥な性格と覆われる秦河勝の人間像が脳裏を掠めた。
 
 赤鳥居を潜った。草屋根の茶店が大きく迫った。草屋根には処々草が生え緑の幕を掛けている。民家を構成している瓦や板壁そして軒出を支える垂木等が、生き生きと呼吸する息づかいが流れて来た。店先に下がった暖簾にー平野屋ーとあった。
 緋毛氈が敷かれた縁台に一組の夫婦が小径を前にし腰を下ろしていた。茶を喫んでいる夫婦に会釈し、縁台の片方の角に腰を下ろした。白色の作業着を纏った朴訥で人の善さそうな中年の男が注文を取りに来た。
 「お茶をお願いします」
 「桜湯にしんこがつきます」
 しんこと云われたが、どのような菓子か知らない。男は抹茶がどうのこうの、と云っていた、緋毛氈の縁台に腰を下ろし道行く人を眺められればそれで好かった。
 背を振返った。小暗い内部には橙色の明りが灯され、いろりの煤で真黒になった柱や梁を漆黒の相に浮び上がらせていた。緋毛氈の敷かれた縁台が置かれた軒先から足を踏み入れると横に永く土間が伸びる。明りが灯された行燈が据えられた座敷には、黒光りした重厚な框が廻され、土間から五十センチメートルほど高くなっている。
 平野屋ではこのしんこ、と名付られた団子が名物らしい。性格にはー志んこ団子ーと云う。男がお盆に小皿を載せてき、緋毛氈に置いた。
 「はいどうぞ」
 太り気味の男は平野屋の主人だろうか、一見余裕ある動作にそんな風に感じた。それとも主人の忠実な従業員だろうか。男の憎めない顔を見て思った。
 捻った小さな団子が三つ小皿に載っていた。団子には黒砂糖をまぜた黄粉が添えてあった。湯飲茶碗には桜の花びらが二つ浮んでいた。
 棒を手にし志んこ団子を差した。棒をゆっくりと口に近づけた。黄粉をまぶした黒砂糖の薫りが咽喉に広がった。眼前を通る小径には時折、人が通り過ぎて行く。この先にまだ名所があるのだろうか。と思い過ぎ去っていく人の背に眼をやった。ゆっくりとした刻が流れ、背に色葉が風に流れ舞落ちてきた。
 縁台に腰を下ろした目線には小径を介し土手になる。土手は右手に緩い傾斜で上がっていく、時折車が通りすぎる。けれどもそれは樹々の梢で遮られ目立たない。土手上に巨木楓樹が斜めに立上がる。楓樹が差掛ける枝葉、薄紅色になった色葉を枝一杯に付けている。
 楓樹の足元に数人の男達が群がる。誰もが三脚に写真機を装着している。レンズは此方平野屋に向って鈍い光を放つ。これだけのカメラマンが集ることから、この辺の秋色は京都でも指折の光景なのであろう。
 改めて頭上に視線を移した。土手から立上がった古木の楓樹が、網のように枝葉を差し伸ばす、それらの枝葉は幾層にも重なって薄紅色から橙色に混じり合い、平野屋の草屋根を包込む。重なり合った色葉の葉擦れに、晩秋の抜けるような青空が点々と覗いていた。
 
 時折平野屋前を通り過ぎる人の背を見、更に小径を先に進んだ。嵯峨野小径とは異なり、アスファルトの道には車が通る。
 程なく道に面した山門が現れた。山門とそれに続いた建物が視線に入った。山門を潜ると左方に進む石段になる。山門の背後に広がった山内を見上げた。斜面に立つ寺院としてどのような空間体系をしているのか興味が湧いた。人の流れはここ愛宕念仏寺山門に吸込まれる。
 山門を潜り斜面に付いた石段に足を進めた。疲れることもなく平坦な山内に至る。山内を取巻く斜面の彼方此方から楓樹の枝葉が張出し、広いとは云えない山内を鮮やかな色葉が包込む。突き当りに小振りな佇をした本堂が立つ。狭い敷地にはふれあい観音堂、玩具のような多宝塔そして三宝の鐘楼が立つ。
 山裾の足元四五段にわたり石仏が連なる。石仏は山裾に沿って弧を描いて回り込み、多宝塔に至る。山裾を回り込んだ辺から通路を挟んだ対面にも石仏が四五段にわたって並ぶ。石仏は山内の中庭に顔を向けている。
 愛宕念仏寺ではこの流れるように連なった石仏群が印象的だ。本堂広縁に数名の人が腰を下ろし前面に広がった秋色を愛でていた。階段下で靴を脱いで広縁に足を進め、広縁の階段の傍らに腰を下ろした。
 休む間もなくウエストポーチのチャックを右に引いた。中から筆ペンを引抜き、キャップを外して口に銜えた。左掌にキャンソン紙のスケッチブックを載せた。
 正面に立つ小さな堂の反った方形屋根の軒端に筆を置いた。軒端の線を水平に引き、一気に眼前に繰り広がった光景を画面に滑らせた。右方には石仏群が四段にわたり並ぶ。
 
 嵯峨野愛宕念仏寺に関する文を認めていた早朝、創設計社事務所の電話がリーンリーンと鳴った。机の脇に載せた電話の受話器を取って耳に当てた。
 「・・・・きょうとの・・・京都の守本ですが、センセおられますか」
 受話器から守本さんの懐かしい声が流れてきた。
 「ああー守本さん久し振りです元気ですか。今どこですか京都からですか」
 「今上野ですがセンセ今日は・・・」
 「高田馬場にいらっしゃいますか、待っています」
 「これから行きます一時間ぐらい後でしょうか」
 守本さん恐らく商用で東京に来たのかも知れない。守本さんが来るまでに主要な用事は済ませなければ、と事務所内を走り回った。
 一時間後、守本さんが懐かしい顔を見せた。守本さんは四年前と変らず澄んだ瞳に柔和な表情を浮べていた。午前中一杯高田馬場事務所で京都のことや東京の事を話した。
 「守本さん吉祥寺に行きましょう」
 「そうですね」
 彼は東京勤務の折、単身赴任で吉祥寺に住んでいた。彼にとって吉祥寺は懐かしい町に違いなかった。吉祥寺には、たまたま私のYKギャラリーがあって出かけることが多い。守本さんに関しては拙著ー六 今日庵から相国寺・下鴨神社へーに詳しい。
 学友柴崎、築山両氏お気に入りの台湾小皿料理店ー旺旺ーで昼食を摂った。席を立ったとき、
 「いい味の店だなあ」
 彼ぽつりと云った。この店は柴崎氏も大変気に入って吉祥寺に来た時、必ずと云っていいほど立寄る店だ。食後の散歩に井の頭公園を一周した。彼は今でもマラソンをしているらしく、京都北山にも行くらしい。ゆっくり歩くのではなく小走りに山道を進む。と云って微笑を浮べた。
 先月京都を訪れたとき泊った宿で行者さんと親しくなった事を話した。
 「京都北山は好いところらしいですね、この間会った行者さんは十日以上北山だけ登りに京都に来たらしいですよ。東京の山とは違うらしいですよ。私の友人も北山に登りたい、と云ってましたよ」
 「センセ北山はそんな山とは違いますよ、東京の山と変りませんよ。山には違いありませんから・・・」
 「いや守本さん、守本さんが気が付かない好いところが北山にはあるんですよ。北アルプスを始めとして南アルプス、八ヶ岳と日本中の山を走破した早稲田大学ワンダーフォーゲル部だった友人が云ってるんですよ。何か好いところがあるんですよ」
 「お寺があるわけではないし山だから・・・」
 そんなことを話しながら公園を歩いた。
 YKギャラリーに戻った。最新のスケッチブックを設計室の本箱から引張り出し、ギャラリのテーブルに広げた。守本さんはスケッチブックをぱらぱらと捲った。一通り捲り終り再び最初から見始めた。
 「どれか好い絵はありましたか」
 「念仏寺の仏像を描いたのは好かったなあ」
 私は渡岩寺の十一面観音像ではないか、と思った。守本さんは念仏寺の仏像のスケッチを探し始めた。渡岩寺の十一面観音像のページで、
 「これも好いけど・・・」
 スケッチブックに眼を落してぽつり、と云った。彼は更にページを捲った。愛宕念仏寺の羅漢像を描いたページで、彼は捲る手を止めた。 
 「これですよ」
 と云って羅漢像を指差した。
 今春梅雨空の中、愛宕念仏寺を訪れた際、本堂庇の下、広縁にもたれ掛り目の前に並んでいた親子の羅漢像を描いたスケッチだ。その羅漢像の絵は降注ぐ雨の中、筆ペンで一気に描き、後でペインズグレイを穂先に湿らせ陰影を付けた。
 「守本さん持っていったらどうですか」
 「えっ宜しいんですか」
 「その前にパソコンに画像を入力しておこう」
 ギャラリー隣の設計室の扉を押した。十九インチのモニターの前に腰を下ろした。彼は隣の椅子に座った。スキャナーには黒色をした布が掛っていた。
 「布を掛けておかないと外部の光を取込んでしまうんですよ」
 と云って黒布を捲って外した。スキャナーを使用するのは久し振りだ。間が空いていたため要領を得ない。見かねた守本さんは、
 「変りましょうか、フォトショップなら使い慣れてますよ」
 それでもアイコンを彼方此方動かすうちにフォトショップの使用方法を思い出してきた。守本さんはマックのパソコンを使い、製品のパッケージデザインをしている。フォトショップには相当に詳しい。けれどもウインドウズに関しては、
 「ウインドウズはややこしくてかなわんて、何であんなに難しい、と違うんか」
 スキャナーがキュンーと音を立てた。十九インチのモニターに幼児を抱いた羅漢像が浮上がった。何とか羅漢像はパソコンに入力できた。
 彼は大きな荷物の片隅に、羅漢像が入った封筒を押込んだ。
 梅雨空の雨滴が降注ぐ愛宕念仏寺、山内には人影はない。東京にきた羅漢像の絵は再び京都に戻り、修学院離宮傍らに立つ守本家の何処に収るのだろうか。                                                 
        

関大前の一つ先の駅北千里界隈も歩いた。たまたま入ったマックのような店で関大生の女学生が働いていた。
関西での生活に慣れれば娘もこんな風にアルバイトをするのかも知れない、と思いながらオレンジ色の制服に身を包んだ店員さんに目をやった。
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5 嵯峨野ー仇野念仏寺から鳥居本平野屋・愛宕念仏寺へ-スケッチギャラリーへつづく
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