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読後感想 山口佳延写生風景 絵と文 建築家・山口佳延 |
十一 長谷寺
電車が近鉄八木駅を出、暫くして、左方の線路際に耳成山がこんもりとした姿を現す。平坦部に耳成山だけが、唐突に盛り上がり、そのふくらみは、古代の豪族の古墳なのではないかと思わせる。
耳成山の紅葉の盛りは、既に過ぎ鮮かさは消えていた。車窓右手には、天香久山が長く寝そべり、なだらかに東の丘陵に溶け込んでゆく。
山間の景色に見蕩(と)れているうちに、長谷寺駅に着いた。車内の探索者らしき乗客は殆ど降りない。皆さんまだ先の室生寺方面にでも行くのであろうか。駅から急階段を降り、長谷寺への途々、大阪から来たという年配の男と話しながら歩く。
男の息子さんは、転勤で大阪に下宿していると云う、其処を足がかりに十日以上滞在し、主に京都を見物しているらしい。男の話によれば、 京都栂尾の紅葉の盛りは既に過ぎているらしい。男は一人旅で気楽そうであった。
ありふれた住宅街を抜け、風情のある門前町に出た。私は参道が右に大きくカーブする処で、スケッチブックを開き描き始めた。左手の平家の民家が趣きがあり、カーブした道は街並に溶け込んでゆく。家の前を流れる水路に掛けられた小さな踏板状の石橋が絵の好い点景になる。
家の背の錦秋の山並が旧い街並に、華やかな彩を添え、民家の中庭から伸びる樹木の緑葉が、錦秋の紅葉と好く響きあい、穏やかな光景である。
更に先の参道には、奈良漬、柚餅子(ゆべし)、地酒を並べた土産物店が両側に立ち並び、如何にも初瀬詣に相応しい雰囲気だ。
巾広の参道突き当たりに朱色の欄干を持った太鼓橋が可愛らしい姿を見せていた。橋へは程好い高さの石段が数段あり、橋の向こうには、山の斜面を細い石段が一筋の線を描いて伸び、その先に小さく可憐な朱色の鳥居が、紅葉に包まれてあった。
小さな鳥居に比べ、錦秋の山が、かなり高い位置にあるため、実際よりスケールが強調され、見上げる構図で、奥行が強調され描き易い光景である。
左に折れた処で、長谷寺仁王門が遠くに見えて来た。其処からは、参道は道巾が狭くなり、
今迄より立ち並ぶ土産物店の密度が濃くなる。何の店も綺麗に磨かれ、肌理細かい心配りを感ずる。
仁王門まで参道は緩い上り勾配で、近づくに連れ、参道両側の旧い土産物店の向こう、石段上に見える仁王門は、大きく迫って来る。周囲の光景も徐々に眼に入るが、木立ちの枝葉の葉擦れに垣間見える仁王門に、視線は集中する。
参道両脇の民家を額縁にして長谷寺境内は、紅・黄・橙色の鮮かな錦秋で埋め尽くされ、山内の下方には仁王門が堂々と立ち、人工の錦秋の如くある朱色の五重塔は、山腹に僅かに、その上層の翼を現す。五重塔の左下には、本坊大講堂の甍が紅葉に浮かび、処々、立ち上がる枯れかかった巨きな木立ちだけが、自然の厳しさを感じさせる。全山、紅から黄色へのグラデーションをつけた羽毛に包まれているようで、柔らかで、穏やかな優しい光景である。
参道の店が切れる二軒手前で描き始めた。仁王門への石段の左方にある坂道が、錦秋の林にカーブして吸い込まれてゆく。山腹の寺だけに、変化ある眺めである。仁王門に向かう探索者が、空間の好い点景になる。
描き終わって仁王門に近付き、その軒下の斗?木組のディテールを手に取るように間近に見
る。大層古い山門の印象である。
柱、軒端(のきば)の斗?(ときょう)木組は薄黒くなり、古色蒼然とした姿を現す。柱梁間の壁には、彫刻が鏤め(ちりば)られ、仁王門自体がひとつの彫刻のような印象だ。近付くに連れその感を強く持つ。門の左右には、仁王像が安置され豪快な印象だ。
長谷寺案内書によれば、仁王門は平安時代、一条天皇の御代に創建されたが、以後、幾度かの火災に合い、現在の仁王門は明治十八年に再建された門であるとの事だ。明治時代の再建にしては、新しさはなく、歴史を感じさせる建物である。出来具合も相当の技術的な水準である。明治時代には、まだ木造技術に優れたものがあったのか。仁王門の間近でスケッチしようとするが、先刻来、連続的に描き、何時までたっても先に進めない。帰りに描く事にし先に進む。
仁王門を潜って、直に有名な登廊になり、勾配の緩い巾広の石畳が、遥か上まで連なる。柱列と折り重なる梁の連続がパースペクティブに見える。登廊正面でスケッチしようとしたが、通行の障害(しょうがい)になりそうで、結局、隅方で登廊の外側を描き始めた。
登廊柱列の連なり、外部の石組側溝、一段高くなった古風な石垣と変化に富んだ要素があり、構図としては面白い。石組を染める苔生した地衣類が歴史を感じさせ、処々にある緑葉が人工的空間の中で好い点景になる。
右上方には本堂屋根が、楓の紅葉に半分以上隠れ、その姿を現す。右に折れて登る登廊屋根が正面に遠望できる。背後の紅・黄・橙色に紅葉した楓が、それらの堂宇を包み込むかのように、一時の風雅を謳歌する。蝉が地上での一週間の僅かな命をあらん限り鳴き尽くしているかのような儚ささえも感ずる。仁王門を潜って、直にある登廊は、その切妻型屋根が門に無理矢理、入り込み唐突な感じがするが、見方を変えれば奇想天外な発想で、棟梁の性格がよく出、好感が持てる。
本堂までの空間に、まずは屋根を掛ける事が重要な目的で、細部の取合いは二の次だと云う豪快な着想を感じる。
本堂への参道を視覚的に、登廊で明確にする事により、参道を進むうちに、精神的高揚を受け、頂の本堂に安置される長谷観音を拝する心の準備がなされる効果が生み出される。
登廊の途々(みちみち)、左右に口を開く道があるが、寄道せずに、まずは本堂へと進む。登廊を右に折れた処で、数人の参拝客が立ち止まり、思案顔の様子である。左前方に抜ける石畳の道があり、石畳に差し掛かる紅葉が鮮かに輝いている。素晴らしい景観ゆえに、其方に進むかどうか迷っているようだ。
右に折れると、小休止の中間スペースがある。其処には木製べンチが据えられ、年配の女性が疲れた表情で腰を下ろし、中には、私は此処で待つからと云って、体を重そうにした年寄りもいる。
其処から真直に登る石段を進めば、本堂前広場は直である。上るには、年寄りではさぞ大変な事だろう。
登廊を登り詰め、本堂横の小広場に出た。左手に入母屋造の大きな本堂が立つ。東大寺大仏殿に次ぐ大木造建築だけに、本堂は頂の空間を支配するに充分だ。
正面の数段高い処に小さな御堂が立つ。愛染堂である。傍らのベンチが置かれた見晴らしの好い休憩スペースでは、年寄りがほっと一息ついている。小さな納経所脇の小道の突き当たりに日限地蔵が立つ。巨大な本堂に対し、人間的スケールを感じさせる祠である。
小広場を中心に、リニアーに堂宇が連なり心地好い空間である。高処故に、眼下に長谷寺堂塔が見渡せ、初瀬川対岸の山並が優しい姿を現す。暫く逍遥してから本堂に入る。
本堂へは、側面の真中の入口から入る。両側に列柱のある巾二間ほどの通路は薄暗く、参詣の人で込み合う。線香の匂いに包まれ、列柱は黒い輝きを放つ。線香の粒子が、木理(きめ)の内部にまで、染み込んで、漆塗りの円柱から匂い立っているかのような錯覚を憶えた。
通路の南は礼堂であり、礼堂の外には舞台がある。其処には参詣者は入れない。その外側には見晴らしの好い外舞台がある。清水寺舞台の小型版と云った感じだ。暗い通路から 礼堂越しに見える外舞台には、大勢の探索者が錦秋の景色を楽しんでいる。明るい藍青色の空が、暗い堂内と対照的だ。北側は大きな本尊十一面観世音菩薩像が安置される。
参拝客は、この通路から観音像を拝む。観音像は木造で身の丈十メートル余りあり、我国最大の木造仏であるという。右手に錫杖と(しゃくじょう)念珠、左手には水瓶を持つ姿の立像である。観音、地蔵の徳を持った像で、長谷観音と云われ親しまれている。
礼堂の拝所は参詣者で混雑し、ゆっくりと長谷観音を鑑賞する雰囲気ではない。通路の敷瓦は四十五度に対角線状に敷かれ、その線が緊張感を崩し心地好い。
礼堂通路を抜けた処で、右方へ行く平坦な道と、下に降りる石段に別れる。楓の錦秋が石段に差し掛かり、紅葉のトンネルだ。
左に折れ、本堂の外舞台に進む。其処には大勢の探索者が、写真を撮ったり、舞台からの素晴らしい景色を愉しんでいる。舞台先端の太い手摺前から、眼下に長谷寺の堂塔が紅・黄・橙色の楓の乱舞の中に浮かぶのが見渡せる。其の光景は、人工の堂塔を越え、人間のつくりあげた建築が、自然に近付いた姿に見え、自然と人工が渾然一体となった空間である。
手前には紅葉に埋もれているが如く、先刻登ってきた登廊、仁王門が垣間見える。もっと大きいと思ったが、自然の中では豪快な仁王門も、その姿は小ぢんまりとした姿である。大自然を前にした時、細かいディテールはどんな意味を持つのか考える事がある。大きなスケールの中での細かいスケール、同時に重要なデザインである。互いにフィードバックして、一つの形が生まれて来るとは思うのだが、そう理解していても考えてしまうのである。
登廊の上方には塔頭の梅心院だろうか、大きな切妻瓦屋根の甍が陽光を受けて輝き、緑葉を挟んで更に上方の崖上を通る一筋の道が大坊・大講堂に溶け込んでゆく。一際、大講堂は大きく見え、背後には、紅・黄・橙色の紅葉が織り重なり、素晴らしい錦秋を繰り広げるのである。
川向こうの山並も眺められ、素晴らしい光景である。時間的にも好い刻で、甍、紅葉に陽が当たり、光を照り返して輝き艶やかな光景だ。
斯様な堂塔配置は短期間でつくりあげるのは無理で、永い間、徐々に建設されねばならない。堂塔を結ぶ参道、階段の扱い方も巧で変化がある。そして、堂塔、道、石段に美しく差し掛かる鮮かな楓の枝葉も意識的に計画されたのであろうが、見る者に自然の優しさを感じさせる。
参道への帰り道、初瀬川に掛かる朱色の天門橋から長谷寺の堂塔を遠望した際に、その印象を強くした。
山腹に如何に効率よく堂塔を建設するかを追求すれば、斯様な配置になるのだろうか。結果的に心憎い許りの空間が演出されている。
一見、貴族階級の遊びの空間のようにも見え、装飾主義的イメージを観る者に与える。例えば、仁王門の小壁に施された彫刻などである。併し、それさえも見方を変え、宗教性を高めると云うデザイン思想で考えれば、合理主義的デザインと云えるのかも知れない。
ある時代、その時代の最高技術で組み立てられた建築―当時は木造であり、現代では鉄骨、鉄筋コンクリート造であろうか。―は、その空間に身を委せた時、空間を造った人々の姿が思い浮かべられ、古の匠と対話しているようで、刻の経つのも忘れるのである。
翻って現代に造られた堂宇を考えた場合、例えば、仁王門を潜って右手に建てれらた宗宝蔵だろうか、大きな建造物がある。遠眼では木造だか鉄筋コンクリートだか判然としない。それどころか大層立派な御堂に見えた。
登廊を進みながら宗宝蔵を間近に仰ぎ見、其れは木造を鉄筋コンクリートに置き換えた丈の偽木造建築であるのが判明した。柱は昔風に朱色のペンキが塗られ、屋根には他の堂塔に似せ瓦がのせられてあった。
当時の最高の建築技術である木構造のデザイン思想を真似て構築されている。構造技術が違えば、形態も違ってくる筈であるが・・・。
発願主の建築に対する造詣か、管長の物を読み取る洞察力、時代の先を読む眼力が、創建当初の発願主に比べて劣る。昔のデザイン思想を、社会の変化を考えもせずに、其儘、踏襲しているに過ぎない。現代社会に合った思想が感じられない。時代を先取りする進取的精神が望まれる。宗宝蔵の偽建築を見るにつけ、他の古来からの堂塔が圧倒的迫力で眼前に迫って来るのであった。
外舞台から朱色に染められた五重塔が見える。鮮かな彩の紅葉の煌めく葉擦れに、五重塔は紅・黄・橙色の輝きに包まれて立つ。手前の紅葉は陽光を受け、彩豊かな相を現し、桃源郷のような光景である。
本堂の複雑な斗?木組を現した軒庇を額縁にしてスケッチ始めた。朱色の塔と、楓の紅葉が
互いに好く響き合い、人工と自然の対話がなされているようだ。
幾人もの探索者が、同じ位置から写真を撮り、周りが騒がしくなってきた。外舞台には、入れ替わり立ち替わり探索者の行来が絶えない。二、三人のグループよりも、団体客が目立つ。中には、年寄りで、此処まで登るのがやっとで、素晴らしい光景も程々に、下山する人もいる。
外舞台西は浅い谷になり、斜面には、降る石段に楓の樹幹が斜に差し掛かり、彩豊かな空間を構成する。谷を廻って対岸の平坦な道を五重塔に進む。
塔の周りの空間は、理由は分からないが、遠眼でも感動的空間とは云えない。通常、塔は道の突き当たりにあって、よい位置にあるのが多いが、長谷寺五重塔は、リニアーな道に面して立つ。手前左手には、安っぽい長椅子を据えた休憩所がある。
塔に近付いて見るに、室生寺五重塔ほど小さくはないが、小振りの五重塔であった。塔の真下から見上げた。新しい塔なのだろうか、木組のディテールが粗雑で、見蕩れる気になれない。長谷寺五重塔は遠方から眺めるのに相応しい塔である。案内書には、昭和二十九年に建立されたと書かれてあった。道理で細部の仕事に、こだわりが感じられない理由が分かった。
来た道を戻り、本堂下方の石段から、本堂を見上げた。紅葉が石段に差し伸べられ、本堂屋根が楓の枝葉の葉擦れに垣間見れる。午後の陽光を受け、紅葉、屋根瓦が輝く姿には、洗練された知性さえも感ずる。
本堂の参拝を終えた探索者は、この紅葉の差し掛かる石段を仁王門まで降る。団体客が降りて来るので、かなり人通りがある。
途中、写真家が三脚を立て、撮影していた。カメラの方向は、本堂が遠望できる素晴らしい構図で、絵葉書の撮影をしているらしい。
本堂外舞台の手摺が水平に伸び、空間に拡がりがある。入母屋屋根を十文字に構成した複雑な形態が、空間に変化を持たらし紅葉に包まれ、建築が自然に溶け込んでいる。
本堂右手には、上部が朽ちた巨樹二本が風景を切り取るかのように佇立する。巨樹は、処々に緑葉を付け、紅・黄色の紅葉を背景に、その緑が映える。登廊の瓦屋根が紅葉に包まれ、閑雅な佇を現す。描いている横を大勢の探索者が通り過ぎて行く。
登廊を登った際に、後で来ようと思った土塀のある道があった。其処は登廊に向かって降る道である。途中までは石段で降り、石段が終わりかけた処で、緩い坂道に変わり、登廊まで伸びる。
塀と坂道の織りなす構成が面白い。降り端は、石段なりに瓦屋根を頂に持つ土塀も降っているが、坂道になる辺で土塀の頂は水平になる。土塀の下部は石積で、上部は白く塗られてある。道は降るが、塀は水平であるため、登廊側の土塀は相当の高さになる。土塀下部には植込みが設けられ、点々と緑葉を付ける。両側の塔頭の庭からは、緑の枝葉が坂道に差し伸べられる。石段の更に向こうの山腹は、錦秋で彩られ、動きのある空間である。斯様に高低差のある敷地は巧に計画すれば、面白い空間ができる。
案内書に載っていない此様な処は意外と穴場で、探索者は誰もこない。
描き終わり、来た坂道を進み、仁王門脇に出た。改めて古色豊かな門に見蕩れる。石段を下がった処で振り返り、巾広い石段を前景に入れ、仁王門をスケッチ始めた。
背後の山は、仁王門に圧倒されたのか、門に従うかのように低くなり、門の威容が際立つ。その筈である、石段下から見上げているため聳え立って見えるのである。登ってゆく際の眺めも好いが、降って行く時の眺望も又違った趣きがある。
見る位置によって、これ程、異なる印象を受けるのかと何時までも門前に佇む。土産物店が立ち並ぶ参道を降り、天神橋のある角にでた。橋上に写真撮影の若者がいた。私もつられて橋上の人となる。其処からは、長谷寺堂塔伽藍が一望のもとに遠望できる。余りの素晴らしさに、
思わず若者に、
「素晴らしい眺めですね。右上に浮かぶのが本堂、左手上が五重塔ですね、今頃が一番紅葉を見るには好い頃ですね」
「そうですね、でも少し遅いかも知れません。一週間前にも来ましたが、その時は少し早過ぎたようで、四日程前が紅葉の最盛期だったのでは・・・」
眼下に流れる初瀬川の水量は少なく、水を透かして岩が見える。土産物店の裏側が川岸に迫り出し、緊張感がある。川岸によく見られる光景である。初瀬川は右に蛇行し、右岸に散在する瓦屋根の家並に溶け込んで行く。
本堂屋根だけが陽を受け輝きを放つ。長谷寺は三方山に囲まれいるため、境内では午後二時頃までは陽が差すが、山端に陽が遮られ、夕方のような光景である。既に夕方四時頃ではないかと思われ、刻の感覚がずれたような印象であった。
堂塔の銀鼠(ねずみ)色に輝く甍が、紅・黄・橙色の紅葉、そして緑葉と好く響き合う。華やかな光景で落着いた空間だ。
私が描き始めると、若者は山上の神社を探索に行った。若者は直に下山して来た。山上の神社は荒れた神社であったらしい。大阪の若者は、写真に関しては詳しい。近くに風情のある街並があるか訊ねた。
「山辺の道、桜井駅近くの町家をよく写真に撮りに行く人がいますよ」
ありきたりの返事が返ってきた。若者は、街並にはそれほど詳しそうではなかった。私にとっては、長谷寺といい室生寺といい、其の紅葉は素晴らしいと思っていたが、例年に比べ、今年の紅葉は鮮かさが足りない、と若者は話していた。
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