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YKギャラリーにおいて作者山口佳延による京都・大和路等のスケッチが展示されています。但し不定期。




 
 
 
 
 
 
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読後感想
山口佳延写生風景
絵と文 建築家・山口佳延
 

 
アフガニスタンの町並ー国境の町トルカムー
 
  果たして無事に入国出来るか、不安な気持ちと未知への国への期待感を織り交ぜ、左方に点在するアフガン入国管理事務所に向かった。前方にフランス、オーストラリヤの若者のグループが四人重そうなバッグを肩に掛けたり、フレームがパイプになったリュックサックを背負って歩るいていった。一人は二〇歳ぐらいの細面で利発そうな顔立ちをした女だった。、眼はパッチリとした美人だ。髪の毛は後ろで束ね、中の一人の男と一緒らしい。
 一人、とぼとぼと歩く私には、彼等が心強い仲間に思えた。行く先々、右も左も解らぬ見知らぬ土地、何とか町のことやこれから訪れる都市そして国に関する情報も仕入れねばならない。そんな時、彼等は頼りになる味方なのである。
 彼等は笑顔を浮かべリラックスした様子で、旅慣れた雰囲気が辺りを漂っていた。見知らぬ人の慣れた姿に接するだけでも気持ちが和んでくる。
 
 荒漠たる白茶けた砂漠に建つアフガン入国管理事務所に入った。先刻の四人連れはリュックを背から下ろし手続きを始めていた。私が足を踏み入れると、彼等は振り返った。互いに軽く笑顔で挨拶を交わした。無言であったがその眼には似た旅をしている、という共有意識が感じられた。 カスタムで所持品の申告をした。申告品はバンコックの空港で買ったフリータックスのシチズン製腕時計、日本を発つ時から嵌めていたオートマッチク時計である。関税が掛けられるのでは、と担当官の顔色を窺った。何故に一人で二つも時計を持つ必要があるのか、と嫌疑をネパールとの国境、インドナオタンワの出入国管理事務所でかけられたことがあった。
 「時計が二つ・・・」
 私は恐る恐る、
 「ヨーロッパ・・・ドイツの友人への土産品・・・」
 弁解がましく云った。担当官は物珍しそうに箱に入ったシチズン製腕時計を取りだし、ひっくり返したりして見ていた。真面目そうな若い担当官は異国の精密機械製品を羨望の眼で見ていた。
 当時、アフガニスタンの国民一人当平均年間所得は五千円だ、という話だった。所持金をザラ紙の書類に書き込んだ。ードル四千ドル、エン五万円ーと、
 「現金を見せて・・・」
 担当官は手を差し出し不審そうな目つきで云った。
 アフガンでは、余りに所持金の少ない旅行者は入国できない。国内で不法活動をしたり、商売をする虞があるからだろう。一方、多額の所持金は没収される、ということも聞いた。
 以前そんなことを耳にしていたので、私は一瞬躊躇った。それもほんの瞬間だった。直に、汗で滲んだTシャツの裾を捲り上げ、晒布で作った腹巻きのような貴重品入れを剥き出し、その内側に着けられたチャックの撮みを掴み、横に引いた。ところがチャックの噛み合わせがさらしにひっかっかり、開かない。
 
 担当官はその間、興味深そうに私の腹部を見ていた。四人連れの一人、西条輝彦に似た男が横目でちらちらと視線を私の腹部に投げた。それでもなんとかチャックは開いた。
 ドル紙幣の一部を担当官の前に広げた。担当官は無言で、
 「・・・・・・」
 それ以上何も云わなかった。
 日本赤軍が世界を席巻していた時期だったので、ポリスでは疑い深そうな眼で見られた。この近辺では日本人は殆ど見かけない。アメリカ、カナダ、オーストラリヤそして西ヨーロッパの旅人は多い。彼等も旅人と云った風情ある印象ではなく、所謂ヒッピーと呼んだ方が相応しい連中だ。
 ポリスの担当官は本部と何やら連絡を取っていた。パシュート語ゆえに電話で何を話しているのか解らない。担当官は時々私の顔を見、人相を電話の相手に報告しているようだ。けれども、うすうす電話の内容は見当がつく。私の名が手配のブラックリストに載っているかどうかだろう。
 既に件の四人連れは手続きを終え、ジャララバッド行の傾き掛けたバスに乗っていた。ポリスで手間取っていれば、ジャララバッド行バスに乗り遅れてしまう。今日中にカブールに着かねば国境で一夜過ごさねばならない。
 
 国境と言えば、チュニジア、アルジェリアのボーダーでは、チュニジア側の検問は無事に通過したのだが、国境緩衝地帯を例によってとぼとぼと、アルジェリア側に歩いていった。遮断機を潜りアルジェリアの検問所に入った。イミグレイション、カスタムは比較的スムーズに過ぎた。ところがポリスに至り、厳つい顔付きをした目つきの鋭い担当官は、差し出したパスポートを顔を強ばらせ、まじまじと見入っていた。
 「ドコカラ キタカ・・・」
 「イタリヤを通り、チュニジヤから・・・」
 パスポートを見れば一目瞭然、ポリスは私が何かを秘密にし、不穏分子で密命を受けアルジェリア入国を果たそうとしているのでは・・・。そう疑っている強ばった顔付きだ。背は一八〇センチメートルはあろうかと思われ、如何にもアルジェリア独立戦争の戦士の風貌だ。
 「アルジェリア ノ オカネハ・・・」
 「検問所を通過したら両替します。ほらドルなら持っていますよ」
 Tシャツの裾を持ち上げ、晒布の胴巻きからドル紙幣の束を抜き出した。私はポリスの機嫌を和ませようと、必死に食い下がった。
 「フラン ハ モッテイルカ・・・」
 「いや・・・ドルしか持ってない」」
 「カネ モタナイヤツ ハ アルジェリア ニハ ハイレナイ。カエレーーー」
 尚も身振り手振りを交え、私はねばった。余りにしつこくアルジェリア入国を主張したため、ポリスは私の右腕を大きな手を伸ばしてむんずと掴み、
 「コッチ ヘ コイ」
 ポリスは私を別室に連行しようとした。最早これまで、私はアルジェリア入国を諦めた。ポリスの熊手のように張った手を満身の力を振り絞り、払いのけた。その時、脳裡に今晩は何処に泊まろうか、不安な気持ちが過ぎった。チュニジアの検問所近くは、見渡す限り砂漠の海だった。チュニスから乗ってきた最終バスは、既に町に発ってしまった。
 ポリスの手は振りきったが、ポリスが追いかけて来るのでは、と危惧した。けれどもポリスはそれ以上、深追いはしてこなかった。チュニジアは出国してしまったし、アルジェリアには入国できないし、一体全体私は今どこの国にいるのだろうか。緩衝地帯をとぼとぼと歩きながら、そんなことを考えた。
 
 チュニジアの検問所に戻った。中には、先刻の人の良さそうな担当官がカウンターの向こうに座っていた。
 「オマエ ハ サッキ シュッコク シタバカリデハ ナイノカ・・・」
 「アルジェリアでフランを持ってないからアルジェリアには入れない、と云われ、追い返されてしまった」 
 「ソレハ タイヘン ダッタナ・・・」
 「今晩、この事務所の床に寝かせてくれないか・・・」
 「・・・・」 
 カウンター前の床を指を指し訊いた。私はスリーピングバッグを持ち歩いているため、何処でも寝れる用意はあった。担当官は私に同情してくれたが、どうしようもない。優しい担当官と話しているだけで気分が和らいできた。
 そのうちに一台の乗用車が検問所の前に停まった。中から若い男が降りてきた。出入国手続きしながら男と話した。
 「フラン ナラ モッテイルヨ リョウガエシヨウカ・・・」
 「ああ・・・でも多分、フランを持っていたとしても私はアルジェリアには入国出来ないでしょう・・・」
 フランス人の男は、検査のためボデー後ろのトランクを持ち上げた。担当官がトランクの中を覗き込んでいた。何気なく私はその様子を見ていた。トランクにはそれほど荷物は入っていなかった。その時、私はこれだーーと思った。
 「トランクに入れてアルジェリアまで連れてって呉れませんか・・・」
 「ソレハ イイ カンガエダ デモ ダイジョウブ カナー」
 私はトランクに体をくの字に折り曲げ入った。それまでニコニコと見ていた担当官は、
 「密入国を私は見過ごす訳にはいかない」
 するとフランス人は、
 「ワタシ ハ フランスジン ケンモン ハ ラクニ パス スルヨ・・・」
 よくよく考えてみれば、アルジェリア入国のスタンプは無いわけになる。日本赤軍ではあるまいし、密入国するわけには行かない。
 結局、国境で一晩あかした。以後の事の顛末は「チュニジアの町並」の部で、詳しくのべたいと思う。
 
 前述した如く、陸路でアジア大陸を走破するには、予想もつかない様々な障害が待ち受けている。障害が大きければ大きいほどその時の情景が強く脳裡に焼き付き、印象に残るのである。 第一節を読んだ柴崎氏から一通のメールが届いた。
 「アフガニスタンはアポロ蝶の故郷で、現在30種類程知られている内の約半数がこの地に生息しています。 我国では超天然記念物のウスバキアゲハ(俗称ウスバ黄蝶)が大雪山の奥深く生息(3年かかって成虫になる)する(高山蝶)たった1種がいるだけです。
 コマクサを食草(これまた高山植物で絶対に採集してはいけない)に、全く贅沢な蝶で、非常に過酷な環境でなければ生きられません。日本は約240種も蝶がおり世界でも有数の蝶の種類の多い国です。
 米国、欧州、アフリカは蝶貧国で、東南アジア、中南米が蝶多産地域です。アフガニスタンにおいては蝶の種類数は多くない筈ですが、トリバネアゲハ、モルフォと匹敵するくらいに超有名なアポロの種類の多い所ですが・・・・・。風土は恐らく大雪山山頂付近と同じ位に過酷な所と推定します。」
 柴崎氏は市井の蝶博士として自他共に認める第一任者である。小学生時代から九州、北海道を始めとした日本各地を、大きな蝶網を片手に精力的に駆けめぐった。専門は機械設計及び製作である。私と柴崎博士は高等学校以来の付き合いであった。博士は早稲田大学機械工学科を卒業後、厳父経営の柴崎製作所に入社。機械設計の礎を学んだ。現在は東邦精機株式会社の社長である。
 
 最近では、一升瓶の蓋を作る機械を製造し、造り酒屋が多く点在する東北、関西地方を主力として、小さな一升瓶の蓋を片手に日本全国を駆けめぐっている。
 博士からのメールで、私はアフガニスタンにも蝶々が生息していることを初めて知った。峨とした岩山や砂漠ばかり眼にしていたかもしれない。そう云えばアフガニスタンでは以外と葡萄を始めとした果物が豊富だった。果物が豊富であれば花の蜜も沢山ある訳だ。
 柴崎博士からのメールの片隅にーシェアードルームとはなにかーとあった。アジア大陸の各都市の旧市街には、世界を旅するヒッピー達が常宿とする安宿が沢山ある。当然一人部屋も設備されてはいるが、二人から十人ぐらいの相部屋が数多く設けられている。シェアーとはー共に分かち合うーと云う意味がある。現地では普段、略してーシェアーーと呼ばれていた。
 安宿も一応ホテルと名は付いているが、ホテルとは名ばかりで、与えられたベッドは人型に窪み、ベッドに体を横たえるとスッポリと人型にはまり込み体の両脇に低い壁が立つかのようだ。安宿に着くと、シングルかシェアーにするか、まず訊かれるのである。  つづく・・
 
 
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