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YKギャラリーにおいて作者山口佳延による京都・大和路等のスケッチが展示されています。但し不定期。




 
 
 
 
 
 
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1 ペシャワールから国境へ
2 国境の町トルカム
3 カイバーパス・カイバル峠
4 バーミヤン渓谷









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読後感想
山口佳延写生風景
絵と文 建築家・山口佳延
 

 
アフガニスタンの町並ーカイバーパス・カイバル峠ー
 
  隣席のフランス人シャローンが、
 「ユー サッキケンモンジョデ タイキンヲ タントウカンニ ミセテイタナ コノヘンデハ  タイキンハ ミセナイホウガイイヨ」
 そう云って、フランス人は手にピストルをもった格好をし、その手を私の腹部にむけた。 シャロンが何を云いたいのか、直に分かった。シャロンの隣、フランス人女性ナンシーが、
 「マニアッテ ヨカッタ・・・」
 そんな顔付きで私の方に笑顔を向けていた。暫くしてからシャローンが、
 「ユー ドコマデ イクノカ ワレワレハ ネパールヲタビシ コレカラ ヨーロッパニ  カエルトコロダ」
 「コレカラ イラン、トルコ、ユーゴスラビアヲヘテ ヨーロッパニ ハイルヨテイダ  カブールデハ トマルトコロハキマッテイルノカ」
 シャローンはネパールを旅してきたためか、疲れた様子で身辺に気怠い空気が漂っていた。 このルートは始めてでは無さそうな旅慣れた印象を憶えた。ユーラシア大陸を陸路で渡り歩く西欧人 は数が多い。彼等の一番の目的は、カトマンズや アフガニスタンでハッシシ(大麻)を吸うことである。日本とは異なり簡単にハッシシが手にはいる。
 
 ネパールでは夕方、一人でカトマンズ市内を探索していたとき、何処からともなく、 若者がすり寄って来、 
 「ユー ハッシシ ハッシシ ベーリグッド・・・」 
 彼等は外国人に大麻を捌くことにより、生活費の一部にしている。シャローンによれば、 アフガニスタンのハッシシは特に効能がいいらしい。その時は私は、吸いたいとも思わなかった。  私がアフガニスタンに入ったのはクーデターで王制が倒れ、ザヒルシャー国王はイタリヤに 亡命している時期だった。確か王制が倒れて一二年後だったと記憶している。普通に過ごすのであれば 、治安は安定していたような町の様子だった。
 
 インド、パキスタンのボーダーのノンビリとした風景とは異なり、車窓には赤茶けた岩山が 重畳と連なり、気の遠くなりそうな光景だ。道は岩稜を縫って峡谷沿いを走る。人工的な物は道だけだ。 峡谷が迫り、バスは挟まれて押し潰されるのではないか、と恐怖感を憶えた。
 対岸の聳り立つ岩稜は赤茶けてゴツゴツした岩肌をむき出し、人間が近寄ることを峻拒 しているような表情だ。車内は静まり返り、ひたすら不気味な岩山を通り過ぎるのを待っているように 見えた。遙か彼方にはヒンズークシの山稜が薄紫色に霞み、藍青色をした空に溶け込んでいた。
 峡谷が幾らか緩やかになった辺りでは、川岸の岩に流れがぶつかり飛沫を白く輝かせていた。 対岸の川との境の山裾は幾らか平らになっていた。其処にラクダに乗ったアフガン人がゆっくりとした 足取りで、バスとは反対方向に進んで行った。風景が流れ、アフガンポストバスはあっという間に、 男を遠ざけて行った。
 暫くして、ラクダと共に四人の家族連れの一団が、峡谷をカブール方面に向かっている姿があった。 住居の移動中なのだろうか、幾頭かのラクダの背には重そうな道具を沢山くくり付けていた。 組立式ゲルか、背の両脇にカラフルな布地をぶら下げていた。家族はラクダの傍らをカラフルな 民族衣裳を纏って歩いていた。
 近くに集落があるのだろうが、荒々しい岩山を見渡しても、それらしき部落は眼に入らない。 喘ぎながらもアフガンポストバスはエンジンを全開し、あっという間にキャラバンの家族を追い抜いて 行った。
 車窓から家族連れが小さくなるまで振りかえった。物に溢れた都会人、ラクダの背に 載せただけの家財道具を持った人間、都会人側からの眼ではどちらが豊かであるか、考えさせられる。 今、自分がカイバル峠にいること自体、不思議な感慨を憶える。意志があるから斯うしてカイバル峠に 身を委せているには違いない。その意志は脳裡の片隅にあるだけで、脳裡の過半は別の方向を向いて いるのかも知れない。選択の細い糸を手繰り、進んでいるように思える。
 
 この荒涼とした光景は、日本的な穏やかで優しい風景の対極にある。自然が織りなす景観は 其処に住まう人間に、少なからず影響を与えるものだ。人間といえども環境に順応して生きる動物である。 温暖で多湿、森林に被われ四季折々、変化に富んだ風景を現す日本、それに培われた国民性がある。
 一方、厳しい自然環境のアフガニスタン、彼等の顔には諦めとも似た、悟りきった表情が覗くと 同時に、刹那的な快楽性が垣間見れる。あの岩稜を眼前にすればそれも分かる気がする。 何処までも連なる赤茶けた岩山を見、そんな感慨を憶えた。
 
 カイバル峠を思い起こしていたとき、連合設計社時代の先輩、長谷川浩平氏から電話がきた。  「十一月二十二日は都合はどうか・・・」
 「はい・・・」
 「横山先生が私とトウリョウの名前でー戦後建築についてのシンポジウムーを申込んだんで いかないか。司会者は磯崎新がするそうだ・・・」
 一瞬、シンポジウムのパネラーになるのかと思ったが、そうではなくパーテイー形式の シンポジウムらしく、ほっとした。電話が切れ、程なく再びベルが鳴った。
 「明日は時間がとれるか・・・」
 「はい・・・何かあるんですか」
 「国立劇場で義経千本桜、歌舞伎の公演があるんだが、厚生年金・・・で毎年キップを 送ってくるんで、カミサンがいる人は夫婦で行くんだが・・・。毎年、親戚にやってしまっていたが、 今年は行こうと思って・・・」
 「はい、面白そうですね。何時からですか」
 「国立劇場の前で午前十時半に待ち合わせしよう」
 夕方だとばかり思っていた。定年退職した人達ばかりのため、時間は早めなのだ。 歌舞伎は以前一度、見ただけだった。アフガニスタン・バーミヤン渓谷の岩山に彫られた大石仏は チンギスハーンによって、石仏の顔面が削り取られた。源義経は頼朝に追われて日本海を大陸に渡り、 チンギスハーンと名を変えた伝説もある。
 
 吉川英治の新平家物語を読んで、義経の活躍は知っていた。歌舞伎の義経千本桜では壇ノ浦の 藻屑とかした筈の平知盛を始めとした平家の武者、入水した安徳天皇まで生きている筋書きだ。 役者の台詞は歌舞伎特有の発声のため、よく聞き取れなかった。けれども役者が身に着けた彩りも 鮮やかな衣裳そして舞台全体の色彩バランスには、眼を見張るものがあった。
 
 アフガニスタンの男は、手首にカラフルな宝石を鏤めたブレスレットを嵌めている。 首には大きくごつい透き通った石を繋げたネックレスを幾つも下げていた。それは歌舞伎義経千本桜 、義経の艶やかな衣裳と伝統の底流において、結びついている感覚を憶えた。
 アフガニスタンは文明の十字路と云われてきた。西はイランを経ユーロッパへ、東はパキスタン を経インドへ、北はパミール高原タシケントサマルカンド、敦煌を経チャイナそして日本へ、 将に十字路に位置する地理的条件を満足している。
 私は今回のユーラシア大陸横断において、ロシア中央アジアのタシケント、 ブハラを経由しアフガニスタン入国を果たしたかった。しかし当時、ロシア政府は陸路で アフガニスタンとの国境を越えることを、許可していなかった。
 
車窓には時々、石造りの農家が流れ去って行く。砂漠の民の家は、敷地全体を石で積み上げ塀とし 、外界との境界を明確にしている。石の上には泥が塗りたっくてあり、所々、泥が剥げ落ち ゴツゴツとした石が剥き出ている。塀の一方の端部は塀より数段ほど高く土壁を積んであり、 泥を塗り付けた屋根が乗っている。其処が居住スペースになる。
 土壁の中央には門が穿たれ、門を入った脇には簡易な小屋が差し掛けてある。 この付属小屋は道具入れもしくは作業小屋に違いない。居住部分の壁には窓は切られてない。 外界との繋がりは石造塀に空けられた門のみである。
 これは所謂、コートハウスと呼ばれる手法だ。厳しい自然、外敵からの防御のための形態である。 日本建築の曖昧さは、そこには見られない。あくまで判然とした境界を築いた姿である。 その形から絆の固い家族主義が見える。荒々しい風土、外敵の侵入から身を守るには家族、 部族の結束を計らねばならない。
 
 ジャララバッドを過ぎ、三時間ほど峡谷を縫って進んだ。前方に開けた平原が現れた。 右手にはヒンズークシの山稜が夕暮れの陽を背に受け、薄紫色に棚引いていた。 ペシャワールから八時間ぐらい経っていただろうか。辺りは夕闇が迫り眼に入る景色は、 輪郭が曖昧になって夜の帳を開きつつあった。
 ついに文明の十字路アフガニスタンカブールに来た。単純ではあるがーついに来たー と云った表現が思わず出てしまうのである。訪ねる国々、都市に入るとこの感慨を何時も憶えるのだった。 日本とは人種は異なり、文化も全く違うため、そのギャップでそう思うのかも知れない。
 カブール川に面したアフガンポストバス発着所にペシャワールからのバスは駐まった。 乗客はゾロゾロとバスを降りた。助手の若者はバスのトランクの扉を上げた。とば口に私の 紺色にくすみ、パンパンに張ったリュックが見えた。件のフランス人グループは傍らに立ち、 荷物が出てくるのを待っていた。私はトップでリュックを受け取ったのはよかったが、 何処に行ったら安宿があるのか見当がつかない。
 カトマンズで同宿のヒッピーに訊いたーフェイスムハンマッドホテルーが五センチ四方の 地図の片隅に鉛筆で書いてあった。その地図の北に安宿街と小さな活字があった。一人ならば、 それを頼りに安宿街に歩いて行く積もりだった。
 
 フランス人シャローンのグループは、手提げのバッグを右肩に背負い歩き始め、私に声をかけた。
 「イッショニ イカナイカ・・・」
 「安宿街を知っているのか、そっちの方・・・」
 心強い相棒がいて助かった。見知らぬ異国の地、安宿を探すのは不安で一苦労だ。 シャローンは我が町の如くカブール市内を進んで行った。市内には低層の小綺麗な建物が立ち並び、 夕方のためか大勢の人が行き交っていた。大通りを渡り幾つか角を折れた。徐々に人通りが 少なくなってきた。少なからず脳裡に不安感が過ぎった。寂しい通りを過ぎ、 パッと開けた閑静な通りに出た。ヒッピーの間では有名なチキンストリートだ。 
 十メートル程のアスファルト道には幅広の歩道があり、ガラス張りのレストランが道の 両側に立ち並んでいた。峻拒としたカイバル峠越えをしてきた後だけに、六本木か 銀座を歩いているような錯覚を憶えた。中には通りに沿って綺麗な公開空地を設け、 中庭に面したレストランから橙色の灯りが洩れていた。不安感は去り、明るい人工照明に会い 、私の脳裡の片隅でカブールへの期待感が溢れてきた。
 
 シャローンはチキンストリート右手、幅二メートル程度の通路に足を踏み入れた。 我々四人はシャローンに続いて入った。少し入った右側の小さな受付で、シャローンは中にいた 無愛想な男と話していた。時々、シャローンはこっちを見、何やら交渉をしている様子だ。 シャローンは振り返って、
 「シェアードルームハ ヒトヘヤダケ アイテイル ジャパニーズハ シングルデ ヨイカ  四〇アフガニー ラシイ」
「ああ・・・・俺はシングルルームでいいよ」
 受付の男は、様子を窺うように、私の方に顔を向けた。私が異議をべるのではないか、 と思っているような顔だ。ボーダートルカムでアフガンの金は両替しておいた。 腹部をたくし上げサラシ製の腹巻きを出し、チャックを引き四〇アフガニー取り出した。 金を男に差し出すと、男は一枚二枚と一枚一枚右手の板机の上に置いた」
 受付を済ますとシャローンが、
 「ジャー アトデ イッショニ レストランニ イコウ」
 「分かった」
 私はシャローンに向かって軽く、手を挙げた。私のルームは受付の脇、扉を押し開けると、 中は暗く天井に裸電球が一つぶら下がっていた。扉脇の薄汚れたスイッチを押した。 仄暗い灯りに照らされ、狭い部屋の隅に安物のベッドが浮かんだ。ベッドには虱か南京虫が 這いだしてきそうな、湿っぽい毛布が掛けてあった。
 部屋に入っても特別する事もない。差し当たりリュックから寝袋を出し、毛布を捲って間に置き 、寝袋の上に横になってみた。無味乾燥な薄汚れた天井が見えるだけだ。一人になると孤独感が 沸き上がってくる。細い糸で日本と繋がっていることだけが、自らを現す実体である。 そんな事を考え天井に浸けられた染みを見つめていた。トントンと扉を叩く音がした。
 「ジャパニーズ・・・・」<
「オーオー」
 レストランに行く知らせだ。私はベッドから跳ね起き、扉を開けた。扉の脇にシャローン、 ナンシーカナダ人ロベルト、オーストラリヤ人ローズの四人が立っていた。チキンストリート をきた方向に歩いていった。シャローンは以前きたことがあるのか、躊躇いもなく、とある 土産物屋に足を踏み入れた。四人がそれに続いて入った。
 
 店内は薄暗く、両側にアフガンコートやカーペット、革製の財布、カラフルな民芸バッグが 並べてあった。気配を察し奥方から、客商売にしてはヨレヨレした身形の男が現れた。 男は見るからに狡そうな眼をし、顔中にあわよくば一儲けしてやろう、といった表情が現れていた。 シャローンは男に、
 「・・・・・・・」
 シャローンが何を云っているのか、何をしたいのか私には分からなかった。細長い店内の奥に 、男は我々を招じ入れた。其処には分厚いカーテンがぶら下がっていた。男はカーテンを左に引いた。 横長の十帖程度の床には、分厚く鮮やかなカーペットが敷き詰められていた。
 シャローンを先頭にし我々は奥室の中央に進み、チャイ用の細いガラスコップが置かれた 周りに座った。男は鉄製のポットを手にし、コップにチャイを注いだ。コップは怪しげな エンジ色に染まった。
アフガンの男A アフガンの男B
 「マア ノミナサイ」
 掌をチャイが注がれたガラスコップに向け、車座に座っている五人に、代わる代わる、 狡そうな目を動かした。シャローンが、
 「アレハ・・・・」
 男は立ち上がり、奥のアフガンコートがぶら下がっている物陰から、何かを取りだし 袷の衣裳の懐に入れた。男は上目遣いにシャローンの顔色を窺うのと同時に、辺りを 獣のような警戒した目つきで見回した。それから懐に手を差し入れ、皺しわの新聞紙にくるまれた 小さな物体を、包紙をあけながらコップの前に置いた。
 「コレデ ドウカ・・・・」
> 目前に、厚みは一センチ、大きめの煎餅のような円い茶褐色をした物体を出した。
 「コレハ イイシナダ ドウダ・・・・・」
 再びシャローンの様子を窺った。シャローンは慣れた手つきで茶褐色の物体を手に取り、 前後左右に見回し、顔を近づけ匂いを嗅いでいた。
 「モット イイノハ ナイカ」
 「コレガ サイコウノ モノダヨ オキャクサン」
 シャローンは尚も物体を見回していた。時々、男はシャローンの気が変わらないように、
 「イマナラ ヤスイヨ・・・・」
 シャローンの決断を促していた。ナンシーも顔をゆるませ、物体を手にとって見ていた。 私とカナダ人ロベルト、オーストラリヤ人ローズの三人は、事の成り行きを黙って見ているだけだった。 結局シャローンは金を払った。シャローンがいくら払ったかは忘れた。
 一瞬、男はしめた、といった表情を見せ、茶褐色の物体をもとの新聞紙に包みなおした。
 
 その足で、我々はチキンストリートに出、件の公開空地に顔を向けたガラス張りのレストラン に入った。 先刻の土産物屋とは大違いで、レストラン内部は蛍光灯が燦々と輝き、白壁やテーブル を明るく照らしていた。店内には我々のほかは誰もいなかった。シャローンは一通り眺め渡し、 数十センチ上がった奥の方に進んだ。
> 我々はゆったりとした円テーブルを囲んだ。シャローンの隣にはナンシーが座り、 ロベルトとローズは私の右隣に腰を下ろした。私は羊の串焼きのカバブとばりばり御飯を注文した。 この近辺の御飯は、黄変米のようにぱさついた御飯だ。干しぶどうを混ぜたものや、カレー粉をまぶした 御飯もある。
一時、それぞれ母国のことに話題が弾んだ。シャローンとナンシーはペアーで旅しているらしい。 ロベルトとローズは、パキスタンでシャローンと知り合い、追いつ抜かれつカブールまできた、 と云っていた。ロベルトとローズは真面目な青年で、まだ旅なれない様子であり口数も少ない。
 食事が済み、皆チャイを注文した。シャローンは徐に、新聞紙に包まれた茶褐色の物体を 円テーブルに置いた。けれども人目を憚り、コソコソとナンシーとの間、物陰に隠した。 アフガニスタンでもハッシシ(大麻)を吸ったり、持ち歩くことは、禁止され、見つかれば罰せられる。 けれどもアフガニスタンでの刑の重さは知らない。
> 因みにイランでは、ハッシシ一グラムで禁固一年、一キログラム所持の場合、 絞首刑と云われていた。シャローンを始めとした我々は多分、禁固五十年になる計算だ。
 我々五人は、チャイを喫みリラックスしていた。
 「ジャパニーズ タバコヲ カシテクレ」
 そう云ってシャローンは、テーブルに十センチ角程度の白い紙を拡げ、渡したマルボボーロの 紙巻きタバコを掴んだ。シャープペンシルの先端を紙巻きタバコに突っ込み、僅かずつタバコの葉を 白い紙の上に取り出した。紙巻きタバコの中味が空になったところで、ハッシシを少し千切り、 それを更に細かくし、紙の上のタバコの葉と混ぜた。
 混ぜ終わって、それを空になった紙巻きタバコに少しずつ戻し、鉛筆の尻で軽く押し込んだ。 ハッシシ入りマルボボーロが出来上がった。シャローンは満足気にタバコを掴み、仲間をぐるっと見回し、 それをナンシーに渡した。ナンシーはライターを取り出し、シュッと火をつけた。ナンシーは右手の 人差し指に挟んだタバコを、可愛らしい口元に近づけ、深く吸い込みフーと力を抜いた。
 明るい店内に紫煙が立ち上り、内部にゆっくりと広がっていった。私はナンシーのするのを 黙って見ていた。ナンシーは無常の喜びを隠しきれない表情だ。
 ナンシーはタバコをシャローンに渡した。シャローンもナンシーと同じように深く吸い込んだ。 シャローンはそれを私に差し出した。
 私は恐る恐るマルボボーロを受け取り、ナンシーがしたようにゆっくりと、深く吸い込んだ。 そしてもう一度、口元に近づけた。何時までも私がマルボボーロを離さないため、、
 「ハヤク ロベルトニ ワタセヨ」
 シャローンは、笑いながら云った。私はマルボボーロをロベルトに渡し、それからローズに回った。
 何度かそんなことを繰り返すうちに、聞こえる筈のない馬車の蹄の響き、シャンシャンシャン ・・・・と何処からともなく流れてきた。時が経つにつれ、蹄の数が増え背からも、左右からも シャンシャン・・・・と鳴り響いてきた。それは恰も、蹄の交響曲のようだった。その後、 ラクダを伴った遊牧民の鮮やかな隊列が現れ、遙か彼方ヒンズークシの山稜が茜色に染まった光景が見えた。
 
 再び安宿の侘びしいルームに戻った。シャンシャン・・・・・蹄の響き、茜色のヒンズークシ の山稜は何処へ消えたのか・・・・・・。            つづく
 
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